意味はわからなくても向かっていく

8年前にドリプラという夢発表会にエントリーしたことがあります。ドリプラはドリーム・プレゼンテーションの略で、映像と音楽を交えて10分間のプレゼンを競うのです。神戸の森田さんが雪の降る2月始めに来られ、「大島さんのゴールは何ですか?」と問われました。ゴールは今までやってきたことの延長線上にあるとも言われました。即座にその問いに答えられなかったのですが、向かってみようと思いました。

人には意味をはっきりつかんでから向かうタイプと、意味が分からなくても感性で向かうタイプとありますが、私は後者の方で、この催しに参加することが私にとってどんなメリットがあるのか全く分からなかったのですが、向かうことにしたのです。

9月に神戸で大会があり、その間、月に一回支援会に参加してプレゼンの内容を高めました。当初予定していたのは「雲南元気学校」でしたが、途中でそれをぶっ壊し、結局「元気便り」をテーマにしました。賞はもらえなかったのですが、私らしい発表だったと評価をいただきました。私はこのドリプラに参加したことで、1人の友達を得ました。彼とは5月の連休に出会い、以来、私のプレゼンのお手伝いをしてくれたのです。

その彼が、その年の終わりに私をモデルにした小説を書いてくれて驚きました。と同時にとても嬉しかったです。タイトルは「一隅を照らす 建材屋健ちゃんの夢探し」だったと思います。

さて、そのドリプラに参加したことはどんな意味を持っているのか、何に役立ったのかいまだにはっきりしないのですが、何か少しずつ分かり始めたように思います。意味が分からなくても、とりあえず向かっていくのもいいのでは、と思っているそんな今日この頃です。