大島健作の未来予報

昨日、「幸せを呼ぶおひさまシール」について書きましたが、実はあるシールメーカーの新商品モニターの募集の記事をネットで見つけて応募したら見事採用されたのです。デザインばかりではなく、経緯と未来(方向性)についても審査対象となっていたのですね。そこで、本日は「大島健作の未来予報」として書いた応募内容を紹介します。

ハガキサイズにしていまして、表面はシールを作るまでの経緯やまりあチャンの紹介、裏面に私の未来予報を書いています。表面は昨日の記事の内容とほぼ一緒なので省略しますね。この両面ハガキをシールと一緒に透明封筒に入れてお渡しするのです。

【大島健作の未来予報】

令和2年は誰もが予想しない年だった。新型コロナウイルスという今まで経験したことが無かったものがやってきたのだ。多くの人が将来に対して不安を持った。この年の12月に島根の67歳のフリーターが作った「幸せを呼ぶおひさまシール」当初これは何?と笑われたが、後に予想もしない展開になった。

ヒントは「幸福の黄色いハンカチ」の映画、幸福のよりも「幸せを呼ぶ」の方が分かりやすい。大島はあちこちにシールを貼っているが、見る度に笑顔になるから不思議だ。「心が安らぐ」「元気が出る」他嬉しい声をたくさんもらった。

そのうち、シールを売りたいと希望される人やお店が次々にあり驚いた。「幸せを呼ぶおひさまショップ」が生まれ、すぐに1000店になった。大島は1000の数字が好きだ。「1000日修業」他、1000円からお札だ。

大島はニュースレターを活用してシールを拡販した。そして、ショップの方の情報発信のお手伝いを月に1000円という超格安な費用でしたので、評判が評判を呼び、令和5年には10万店を超えた。その頃にはスタッフも10名を超え、大島はひたすら全国行脚をした。令和8年に念願の「おひさまコンサート」を東京ドームで開催、「おひさま」の歌を皆で歌った。高校の時に教えてもらった座右の銘「一隅を照らす」と「おひさま」が見事にマッチングしてしまった。        大島健作 記 令和2年12月

 

以上ですが、あくまでも私の妄想として受け取って頂ければいいのではと思っています今日この頃です。