健作ちゃん便り

本日は平成29年8月に作った「健作ちゃん便り」を紹介します。A4両面カラー、似顔絵やお友達の名前ポエムも入れていますが、文章だけで少し修正もしました。 

私のことを「健作ちゃん」と呼ぶのは現在のところシカゴピザの店長だけです。しかし振り返ってみたら40数年前に大阪の会社の寮にいた時に皆から「健作ちゃん」と呼ばれていたのです。今は「健ちゃん」や「健作さん」が多くてたまに「健さん」、ピザ屋では「島さん」と呼ばれています。

私は書くことが好きなのか、平成18年8月から10年間毎日「元気便り」というコラムを書き多くの方に送っていました。100%ではないですが、私をさらけ出して書いているところが受けたようで興味を持って読まれたようです。最近からはフェイスブックで「健作ちゃんコラム」を書いていますが、今回のこのチラシは「健作ちゃん便り」としてみました。

 さて、私はどんな子供だったのか、そんなことから書いてみますね。私の小学校の時のことです。それは母親が教えてくれたのですが、クラスにくさい人がおられて隣に座る人が誰もいなくて私が座ったらしいです。そしてそのくさい人は日の丸弁当(梅干だけ)、一方私はご馳走たっぷりで、母に自分も日の丸弁当にしてくれと頼んだとか、全く覚えていないのですね。

 中学生の修学旅行の帰りの電車の中で、私が何をしたのか全く記憶はないのですが、中年の方がえらく私を気に入られ「子供になって欲しい」と学校まで申込をされました。そのことが何故か学校の朝礼で発表されたのです。学校から親にその申込が伝わりもちろん親は断ったのですが。

 中学校の3年の時に「竜馬がゆく」を読んで坂本竜馬に心酔し幕末にあこがれました。高校1年の時に一人で高知にも行きましたよ。また同じ頃に幕屋という結構に過激的なキリスト教にも出会い、将来は社会事業のような仕事をしたいと思いました。そんな私に大阪の牧師さんから「お父さんが作られたお店があるじゃないか。世の中の片隅でもいいから『一隅を照らす』生き方も素晴らしいんだよ」と言われ父が築いた建材店の跡取りになったのです。

 その建材店を2代目の私が平成28年の12月をもって潰してしまいました。それは想定外のことでした。私は元々好奇心が強く新しいものにすぐに飛びつく性格で、どんどん革新的なモノやコトを導入しました。その行動力に自信を持ち回りの人も驚きました。県外の工務店さんとも交流が始まり平成17年には横浜でセミナーを開催して「空飛ぶ建材店」と呼ばれました。

 そんな華やかな時代は懐かしい思い出となったのですが、過去のことを悔やんでみても何も生まれません。いろいろな反省は真摯に受け止めて、これから「元気で明るく強く輝いて」それは「おひさま」のように生きようと思っています。

 今は、シカゴピザセブンイレブンで仕事をしています。もしも「建材屋」を順調に全うしていたらこんな経験は出来なかったことでしょう。だから「うまくいかなかったから、いろいろな体験ができたんだ」と思うと心が楽になりますね。

 さて、私は今後どんな人生を歩むのでしょうか。今までのことを振り返ってみると自分の予想通りになっていないことがたくさんありました。だから、今、私が未来を予想してもその通りにならない可能性が大きいように思います。だったら、先のことは神さまにお任せして、今やることに集中した方がいいかもしれませんね。そして、これから自分の人生がどうなるのか分からないけど、すべて大丈夫だと信じることが大切だと思います。それが「自分を信じる」ことではないでしょうか。私は最近からそれができるようになりました。「おひさま」のように生きたいものですね。

イラストレーターの阿蘇のあべまりあチャンがデザインしてくれた「おひさまバッジ」あります。送料込みで1個300円です。ご希望の方はご連絡ください。

       

以上ですが、いくつかポイントがあります。

①私のプロフィールを物語風にして紹介している。人は物語に感動・感銘します。

②おひさまバッジを最後にさりげなくPRしている。実はこの便りを読まれた方からバッジの注文があったのです。通常は商品の特長やお買い得なことを正面からPRするのですが、この商品が生まれるまでのエピソードや苦労話なども入れるといいかもしれませんね。

そして、この「健作ちゃん便り」を書いた3年前には、ニュースレターの名前や存在を知らなかったのですが、これぞまさしく「ニュースレター」ではないかと思っている今日この頃です。